はじめまして!
ヨガ講師の川畑舞夕です。
柔軟性をあげる専門家として、柔軟に特化したレッスン、柔軟をあげる食事指導、海外リトリートの主催や、独立したいヨガ講師さんのサポートをしています。
もとはごく普通のどこにでもいるOL、特技といえばお菓子作り。運動経験もゼロ、自分の体にもポーズにも自信のなかった私が、今こうして自由に好きなことで収入を得て生計を立てられています。
これまで生きてきた中で、今が一番しあわせ!
そう言い切れるから、体と心を柔らかくして、自由に人生を楽しむ♪
そのためのTipsを発信しています。
私について
正直、そんなに華々しい経歴やドラマになりそうな経験などは一切ありません。
ごく普通の一般家庭に生まれ育ち、父は普通のサラリーマン、母は専業主婦、運動は大嫌いで、小さい頃からピアノを弾いてるか、本を読んでいるか、もしくはおやつ食べてるか。。
普通に勉強して、大学に行って、どこかに就職して、誰かと結婚して家庭を持つんだろうな、と漠然と思っていた私、今考えると、「世間一般の幸せ」にとらわれていたのだと思います。
そのころも普通に幸せでしたが、そしてその時は気が付きませんでしたが、今思うと「何かが足りない」。
その何かとは、「自分の幸せ」でした。
ヨガとの出会い
そんな、日々漠然と過ごしていた私が、今の私の天職ともいえる「ヨガ」に出会ったのは、今から16年前、地元、富山のスタジオです。大学を卒業して、地元企業に就職してから少し経った時でした。
思えば、そのヨガとの出会いも「引き寄せ」のようなもの。
なんとなく、「ヨガやってみたいなぁ」と思っていた私、
当時、通っていた英会話教室で、たまたま仲良くなったクラスメイトが、たまたまヨガインストラクターの資格を取得中、だったのです。
誘われるがまま、その子が通うスクールのレッスンに連れて行ってもらった私、正直、ヨガがどうか、はよくわかりませんでした。
ですが、レッスンを担当してくれた先生が、すんごい綺麗だったのです笑
健康的に美しいスタイルで、笑顔が素敵で、やさしく話しかけてくれる。
私もヨガをしたらこんなふうになれるのかなぁ、とそんな不純な気持ちでヨガを始めました。
当時は、ヨガ講師になる、なんてみじんも思ってなかったし、学校の体育の授業が嫌いすぎて、ピアノを理由にサボっていた私が、今ヨガ講師を名乗ってるなんて、当時の私を知る友人や知り合いは目を剥くでしょう。
人生ではじめて訪れた試練の日々、支えてくれたのがヨガでした
そうして、「不純」な動機でヨガを始めた私ですが、合っていたのか、途切れることなくずっとそのスタジオに通い続けました。海外に行きたい!そんな想いが強かった私は、2年働いて会社を辞め、ワーホリビザと働いて貯めた100万円を握りしめて、単身オーストラリアに旅立ちましたが、オーストラリアでもずっとヨガは続けていました。
むしろ、現地で、言語も不自由な中、頼れる人がいるわけでもなく、親しい友人がいるわけでもなく、たった一人で見知らぬ土地で生きていかなきゃいけない。のほほんと温室で育ってきた私の人生に初めてきた試練の中、ヨガにどんなに助けられたか、言葉では表しきれないくらいです。
ヨガをしていれば自分でいられる、ヨガマットの上だけが、居心地のいい空間な気がして、住む場所も仕事も転々とする中、当時愛用していたマンドゥカの明るいオレンジ色のヨガマットを持って、通えるヨガスタジオを探して、毎日のようにクラスに通ったものです。
実は、このオーストラリアでの一年はあまり記憶にないのですが、
大家さんにセクハラを受けたり、ボンドを騙し取られそうになったり、通うはずだったコースが急に飛行機で5時間以上離れた場所での開講になって一から家探しをする羽目になったり、
仕事をクビになって、お金がなくなり、3畳の屋根裏部屋に住んでいたこともあったっけ・・
そんなわりと波瀾万丈な不安定な生活の中、ヨガがあったから自分を保っていられました。
ヨガ講師になりたい!
ヨガ講師になりたい!そう思うようになったのは、そんな波瀾万丈のオーストラリアから帰国、東京で就職をしてしばらく経ったころです。
その一つの理由は、いつもどこかしらが痛い母を助けたい、という想いでした。首が痛い、頭が痛い、胃腸の調子が悪い、こんな調子で年がら年中不調を訴えている母、対して私はヨガのおかげなのか、そこまでの不調を感じたことはなく、私がずっと続けているヨガで、その不調を取り除いてあげられるのではないか、と考えたのです。
でも、ヨガを自分がするのと人に教えるのは全く違います。どうやって教えたらいいかわからない当時の私には、母の不調を改善してあげられるだけの知識も技術もありませんでした。そんな自分が悔しくて、少しずつヨガ講師になるための学びをしたい、と思い始めました。
そして、もう一つの理由。それは、自分の専門性が欲しかった。
私の姉はピアニスト。もちろん彼女の専門性はピアノで、24時間365日ピアノのことばかり考えていて、それを仕事にもしている。私はというと、大学で学んだこととは全く関係のない仕事につき、いったら誰でもできるようなことをしていて、代わりはいくらでもいる。それがなんだか悔しくて、これだけは絶対に誰にも負けない!というような何かが欲しかったのです。
ヨガ講師になるためにやったこと
そんな理由から、ヨガ講師になりたくなってきた私がしたことは二つ。
一つは、「人は周囲5人の平均になる」という言葉に従って、ヨガを仕事にしている人のそばにいくことにしました。具体的にいうと、ヨガスタジオでアルバイトをすることにしたのです。といっても、講師ではなく、受付です。でも、スタジオでレッスンを担当するヨガインストラクターさんと出会い、また、ヨガを教えなくてもヨガに関わる仕事をしている方達と会えた、ということも価値のある出会いでした。
今の仕事をするようになってからは、講師の仕事に専念したく、アルバイトはやめてしまいましたが、たくさんのヨガに関わる人たち、そして、ヨガが好きな人たちと出会えた、それだけでもこの選択は間違っていなかったと思います。実際、私が講師の資格をとったのも、そのスタジオでした。
もう一つ、これは無意識なのですが、ヨガ講師になりたい、と思った私が毎日していたことがあります。
それは、ヨガ講師として教えている自分をイメージすること。ヨガ講師として、生徒さんの前に立っている自分、生徒さんをダウンドッグに誘導する自分、つらそうに呼吸をしている生徒さんに近づいてアジャストしてあげる自分、最後のシャヴァーアサナでそっと生徒さんにブランケットをかけてあげる自分、本当に、現実との区別がつかなくなるくらい、想像するのです。
「右手を天井方向にあげて、目線もその先をみて・・」インストラクションまで口に出ていることも何度もありました。
当時は無意識でしたが、なりたい自分をイメージする、これ本当に大事なこと。
私は、今でも、理想の自分をイメージする、ということを毎日やっています。
不思議なことに、そうするとそのイメージがどんどん現実になっていくのです。
念願のヨガ講師デビュー!理想と現実は違った
ヨガ講師の資格を無事に取得し、そして、運良く、通っていたヨガスタジオで空きがあり、レッスンを担当させてもらえるようになった私。念願のヨガ講師デビューです!
頭の中でなん度も思い描いたように、流れるようにインストションを出して、優雅にマットとマットの間を優雅に歩きながら軽くアジャストを・・そんなふうにはいきませんでした。
私が担当していたのは、少人数のクラスでせいぜい10名くらいでしたが、それでも、生徒さんの前に立つだけで、手足は震え、声も震え、、、RYT200では「生徒さんのことをしっかりみてあげられるのがいいヨガ講師だ」と習いましたが、そんな場合ではありません。自分の震えを止めるのに、そして、考えてきたシークエンスを思い出すのに必死。
理想と現実は違いました。
回数を重ねるにつれ、経験を積むにつれ、少しずつ震えはおさまり、一年ほど経つ頃には、その場でシークエンスも作れるようになった。
でも、なんだか自信がない。
自分の体も、私が思い描く「ヨガ講師っぽい体」ではないし、ポーズもなんとなく形はできてるけど、これであってるのか不安。しかもできるポーズしかやらないから、クラスはいつもマンネリ。生徒さんが満足してくれているのか、いつも気になって、生徒さんの反応が怖い。。
それに、収入面でももやもやしていました。
ヨガクラスのレッスン費は、業務委託の多くの場合、決して高くはありません。対して、資格取得や学びにはものすごくお金がかかる。
何十万と払った資格取得の費用をカバーするには、一体、何回レッスンをすればいいのか。
このままで本当にいいのだろうか?
コロナで人生の夏休みがきた
そうやってもやもやしながら会社の仕事とヨガ講師の仕事、二足の草鞋をはいて忙しく過ごしていた私にとって転機だったのは、あの、コロナ騒動です。
まず、会社の仕事がなくなりました。それに続いて、スタジオも軒並みクローズ。
当時、フルタイムの会社員をしながら、会社の仕事がない平日の夜や土日にレッスンを詰め込んでいた私には、休日という概念はありませんでした。週七日勤務をすでに2年間ほど続けていたのですから、突如やってきた、何もない日々に最初は困惑しました。
ですが、もともと適応能力がわりとすぐれている私は、人生の夏休みとばかりに、もともと趣味だったお菓子作りをしたり、パンを焼いたり、積読してあった本を読み漁り、、。
そして、そうやって時間ができたことで、やっと自分の将来について考える時間がとれたのです。
それまでは、このままでいいのかな、これで私の欲しい未来は手に入るのだろうか、そもそも欲しい未来を考える時間さえありませんでした。目の前にあることをこなすのに必死で、自分がどこに向かっているのか、なんて二の次だったのです。
でも、それがなくては、目的地を決めずに、そこに道があるからただその道を目隠しして突っ走ってるようなもの。どこに辿り着くかは、神のみぞ知る、です。
そうして、自分の将来について、初めてしっかりと考え始めた私が出したのは、
このままではいけない、という答えでした。
このまま会社員を続けていては、私の欲しいものは得られない。
であれば、ヨガを仕事にしたいけど、今のままでは収入面で不安。
ヨガ講師としても自信が持てていない状態では無理に等しい!
なにかしなければ!
滝行であった運命の出会い
と思いつつも何をしたらいいかわからず、とりあえず資格だ!と、興味のあった、食の資格や東洋医学の資格の勉強をしていた私に、ある日、RYT200の同期からラインが届きました。
「滝行に行くけど一緒にいかない?」
見た瞬間、心が揺れました。実は私、幼い頃のトラウマが原因で水が怖いのです。
水に顔をつけるのも怖いのに、滝行なんてもってのほか!
ですが、何かしら状況を変えたいと思っていたせいでしょうか、なんだかその滝行への誘いに乗らなければいけないような、それが人生を変えてくれるような、なぜかそんな気がしたのです。
そうして、何かに導かれるようにいった私が、はるかに高い頭上から怒涛のように落ちてくる滝を前にどれだけ後悔したか、想像に難しくないと思います。
文字通り、震える体験をして、なんなら滝行のあとも衝撃すぎたのと寒いのとでずっと震え続けて、同行してくれたお坊さんに本気で心配された私でしたが、その滝行での出会いこそが、人生を変えてくれた。
今ではそう思っています。
体と心を柔らかくすれば、人生が軽やかで自由なものになってくる
その滝行での出会いがきっかけで知った食事法、柔軟法が私の人生を180度変えました。
まず体が変わり、そしたら心が変わり、言動が変わり、人生が今、わたしが望んでいる方にどんどん近づいているのです。
その方法を、私は今「デトックス」としてみなさんにお伝えをしています。
ここまでが、私がデトックスに出会うまでのお話しです。
出会ってからのことは、また機会があれば書こうと思っています。
長々と書きましたが、私が伝えたいのは、ただ一つ。
人生は行動一つでいくらでも自由に変えられる。
自分の理想の人生を自分で作っていくことができるのです。
過去の私は、それを知らず、いわば「既成の人生」を辿っていましたが、「既成のもの」は必ずしも自分にフィットするとは限りません。そして、ヨガはそれに気が付かせてくれるものです。
体と心を柔らかくすれば、人生が軽やかで自由なものになってくる。
そのための方法を伝えていくのが、今の私の使命だと思っています。
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